村西とおる
村西とおる(むらにし とおる、本名:草野博美、1948年9月9日 - )は、福島県いわき市出身のアダルトビデオ(AV)監督。ハメ撮りの帝王。
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AV以前
福島県立勿来工業高等学校卒業後、上京。水商売を経て英会話教材・百科事典のセールスマンになり、巧みなセールストークで月40セットを売り上げるなど,優秀な成績を収めた。その後北海道において、当時インベーダーゲームブーム真っ盛りのゲーム機の設置・販売を手がけ財をなすが、ゲーム機の新作発表会を見に上京した際に新宿・歌舞伎町でビニ本に出会ったのを機に裏本の制作・販売業に転じ、全48店舗を擁する北大神田書店グループの会長にまで上り詰める。
1983年には、裏本によって得た莫大な利益と、北大神田書店グループの流通網を用いて、自ら経営する出版社・新英出版より写真週刊誌「スクランブルPHOTO」を創刊した(編集長は本橋信宏である)。しかし、北大神田書店グループの摘発によって資金繰りが悪化したことにより、創刊からわずか10号で廃刊に追い込まれた。また、村西自身も猥褻図画販売容疑で指名手配・逃亡の後、1984年3月に逮捕され(懲役1年5ヶ月、執行猶予4年)、北大神田書店グループも解体された。
AV界での成功と挫折
クリスタル映像時代
1984年秋の保釈後、「村西とおる」の芸名でAV監督に進出した。「村西」とは、当時所属していたクリスタル映像の西村社長の名字をひっくり返したものであり、「とおる」とは、借金や前科のある自分が再び世の中に通るかどうか、という思いでつけたものである。
北ヨーロッパにロケーションしたり、ストーリーもので擬似本番だった初期作品は酷評されて、当初は売れない日々が続いたものの、1985年11月に発売したドキュメント路線の立川ひとみ主演「恥辱の女」が専門誌「ビデオ・ザ・ワールド」の選評でその年の1位を獲得する評判を呼ぶ。これに自信を得て試行錯誤の末、自らが監督・男優・カメラマンを兼ねて本番をする「ハメ撮り」、「ナイスですね~」を初めとする独特の「村西トーク」(これはセールスマンの経験を通して身につけたものである)、顔面に射精することで本番行為を行っていることをアピールする「顔面シャワー」、駅弁売りのような態勢で女優を抱えながら行為に及ぶ「駅弁ファック」、ストッキングを荒々しく破く行為など村西独自のスタイルを編み出し、徐々に業界で知名度を高めていった。これに加えて1986年の職業安定法・児童福祉法違反容疑での逮捕(17歳の少女を出演させたとされるもので、処分保留で釈放された)により、一般にも広く知られるようになった。以後、毎年のように彼の逮捕をめぐるニュースがマスコミを賑わせることになる。
村西の作品が爆発的な知名度を得て、「アダルトビデオの帝王」と言われるきっかけとなったのが、1986年10月に発売された黒木香の「SMぽいの好き」である。横浜国立大学でイタリア美術を専攻する良家の令嬢でありながら、スケベな言葉を連呼し、16歳以降剃ったことのないという脇毛を振り乱し、絶頂時にはホラ貝を吹き鳴らすというギャップは、当時大きな話題を呼んだ。その直後の12月には、ハワイでのロケ中に旅券法違反等の容疑で逮捕され、半年以上に渡って勾留・法廷闘争が行われたが、これも村西の知名度をさらに高めることになった。村西は当時、ソニーのベータカムを背負いブリーフ姿になったり、ハメ撮りをするというその強烈なキャラクターで、タレントの片岡鶴太郎によって、フジテレビのバラエティー番組「オレたちひょうきん族」で、同様の姿を物まねされるなどして、全国的な話題になっていた。当時、フジテレビの深夜ドキュメンタリー番組でも「アダルトビデオの戦士たち」という特集番組まで放送された。村西自身もタレントとしてテレビ番組や雑誌に登場するなど、一躍マスコミの寵児となった。
1988年4月には、17歳の少女をAVに出演させて児童福祉法違反容疑で逮捕、罰金30万円の有罪判決を受けた。さらに同年9月には16歳の少女を出演させたとしてやはり児童福祉法違反容疑で逮捕され、懲役1年、執行猶予5年の判決を受けた。
ダイヤモンド映像時代
この間、1988年9月に、クリスタル映像と袂を分かってダイヤモンド映像を設立した(村西は事実上のオーナーだったが、代表取締役には就いていない)。当初は売り上げが振るわなかったものの、松坂季実子の発掘によって火がついた「巨乳ブーム」により同社は軌道に乗るに至った。一時は10名以上の専属女優を抱え、目黒区青葉台、代々木上原に構えたダイヤモンド映像本社でスタッフと女優と共同生活を送る。AV女優に500万円から600万円の高額のギャラと高級服を弾み、写真撮影のため海外旅行にも出かけるうちに、ハーレム状態となった。黒木香の店として渋谷東急文化村付近には高級焼肉店「香貴店」を出店した。
さらに日本ビデオ映画を設立し、本名の草野博美名義でかとうれいこ、本田美奈子、飯島直子、秋本奈緒美など一般のタレントを起用して、1990年から1992年にかけてビデオ映画の製作に進出。また、パワースポーツ企画販売ではアイドルのイメージビデオを手がけた。その他のグループ企業にはビックマンとビックマン販売がある。
しかし、ビデオ映画は失敗し、同時に過剰な不動産投資や、「空からスケベが降ってくる」との謳い文句で知られた通信衛星放送事業への過大投資などによって、ダイヤモンド映像は1992年に約45億円の負債を抱えて倒産するに至った。
ダイヤモンド映像倒産後
1994年4月からアナログ方式のCSテレビCS BAANでダイヤモンドチャンネルの本放送を開始。18万円のチューナーを購入し、月に3500円の受信料を払って1日8時間放送のアダルトビデオを見るシステムで、4000件の受信契約があったが、1996年夏に放送を中止した。同時期には京都ローカルのKBS京都で「アイドルお嬢様」というテレビ番組を放送したり、新宿歌舞伎町でショーパブを経営していた。この間の1994年12月からはビデオ安売王と契約してセル専用のアダルトビデオを制作し、1990年代半ばからは株式会社日本映画新でビデオ制作を再開している。1996年には多くのAVメーカーに先駆けてDVDによるアダルト向け作品を発売した。
2007年現在はニューシネマジャパンで、過去の作品の販売などを中心に活動している。なお、妻は元AV女優の乃木真梨子である。
著書
- ナイスですね(1987年、JICC出版局)
関連書籍
- 本橋信宏『アダルトビデオ ─ 村西とおるとその時代』(1998年、飛鳥新社)/ 『AV 時代 ― 村西とおるとその時代 』 (2005年、幻冬舎・幻冬舎アウトロー文庫))
- 本橋信宏『裏本時代』(1996年、飛鳥新社)/ 『AV 時代 ― 村西とおるとその時代 』 (2005年、幻冬舎・幻冬舎アウトロー文庫))
- 本橋信宏「村西とおるを奪い合ったAV女優たち」『新潮45』2006年6月号
- 足立倫行『アダルトな人びと』(1992年、講談社 / 1995年、講談社文庫)
- 井田真木子『旬の自画像―2チャンネルの女から永田町の男まで』(1995年、文藝春秋)/ 『フォーカスな人たち』(2001年、新潮社・新潮文庫)
- 佐野眞一『人を覗にいく』(1995年、TBSブリタニカ / 2002年、筑摩書房・ちくま文庫)
- 佐野眞一『日本映画は、いま―スクリーンの裏側からの証言』(1996年、TBSブリタニカ)

